久渡寺山

久渡寺山は出羽丘陵の北端に位置する標高663メートルの山地です。
 歴代住職墓所の上に弘前市こどもの森ビジターセンターがある。ビジターセンター南側のハイキングコースに鳥居があり、約20メートル上がったところに眼病に効能があるという湧水が出る羽黒神社があります。その上に四間、二間半の玄舟寺(本尊延命地蔵)があります。そして、山頂に「山の神」と呼ばれる御堂があります。
 久渡寺から編笠林道を通り、一野渡の座頭石(市民の森)を経て、狼森に出る道が「東北自然歩道(座頭石と久渡寺参拝のみち)」に指定されています。

国見台

本堂の北側へ登ると標高285メートルのところに国見台という広場があります。その昔、この場所から領内の豊凶を観る慣わしがあったといわれています。また、当寺とも関係のあった森岡金吾信元と初代藩主・津軽為信がこの場所から領土を分割する相談をしたという伝承が残っています。

久渡寺鉱山

藩校・稽古館等で教鞭をとった蘭学医・佐々木元俊(1818~1874)が、明治元年に坂元でマンガンを発見し久渡寺鉱山が開山いたしました。清水鉱山とも呼ばれていますが現在は休山となっています。

坂元

久渡寺のある坂元(藩政時代には坂本と書いた)の地内に縄文時代の遺跡があり、久渡寺遺跡(現在は山林)として登録されています。

 

小沢館跡

広野神社の南、アップルロードを東へ約200メートル進み、土物川に架かる館乃橋を渡ったところに小沢館跡があります。南から北へ延びる舌状台地の末端に構築されたものです。中央部に幅8メートル、深さ2メートル程度の濠跡があり、北と南に区画されています。舌状台地の東側は直下を土淵川が流れ、西から北にかけては深い谷(現在は水田)になっています。南側の台地はリンゴ園や宅地となっているので、当時の形は不明となっています。
この館跡の沿革は不明ではありますが、『津軽一統志』その他に津軽為信の重臣森岡金吾信元が三千五石の高で小沢館を居館としたことが記されています。

参考文献
・年報「市史ひろさき」(弘前市教育委員会)