弘前・久渡寺の幽霊画「返魂香之図」は応挙真筆
青森県弘前市の久渡寺に残る幽霊画「返魂香之図(はんごんこうのず)」が円山応挙(1733~95)の真筆であることが、弘前市文化財審議委員(福井敏隆委員長)の調査で明らかになった。
「足のない幽霊」を初めて描いたことで知られる応挙の幽霊画の中では、米カリフォルニア大学バークレー校付属美術館に寄託されている絵が、その印章などから真筆とされているが、国内に残るもので公的に真筆と認定されるのは「返魂香之図」が初めてとなる。
今回の調査で、同寺に絵を寄進した弘前藩家老森岡主膳元徳(もりおかしゅぜんもとのり)が、妻と妾(めかけ)を相次いで亡くし、その供養のため応挙に描かせた後、奉納したとみられることが判明。
江戸期屈指の画家の絵が弘前に残された経緯が明確になり、史料的価値が大きく高まったことから、弘前市教育委員会は20日、「返魂香之図」を市有形文化財に指定することを決めた。
同審議委員の一人で、「返魂香之図」を鑑定した宮城学院女子大学の内山淳一教授(日本美術史)は「バークレー校のものと描写が酷似しており、応挙の真筆とされる他の美人画と比較しても全く遜色(そんしょく)ないどころか、むしろより高い気品を備えている」と指摘する。
内山教授によると、バークレー校の絵が描かれたのは、印章の状況などから1776~77年ごろ。それに比べ「返魂香之図」は、女性を描く位置を高めに設定することで足のない幽霊の浮遊感がより強くなっている。このため「返魂香之図」は、改良版として80年前後に描かれたものである可能性が高いことが分かった。
一方、同じく委員で弘前大学人文社会科学部の関根達人教授(歴史学)が、同市西茂森・禅林街の梅林寺に残る森岡家の一連の墓を調査し、森岡主膳が80年から83年にかけて、後妻、妾、孫を相次いで亡くしていたことを確認。
「返魂香之図」はその直後の84年2月、久渡寺に奉納された記録が残っている。
これら複数の年代が矛盾なく並んだことにより、森岡主膳が家族を失い、応挙に「返魂香之図」を描かせ、久渡寺に奉納した一連のストーリーが浮かび上がった。
また、双方の絵を比較すると、「返魂香之図」はより顔立ちが若く描かれており、応挙が森岡主膳の注文で、81年に25歳で亡くなった森岡主膳の妾「國」を描いたとも考えられるという。
主膳は、弘前藩領で多くの被害を出した83~84年の天明の飢饉(ききん)の責任を問われ84年7月に家老職を罷免となり、85年に自刃する。
関根教授は「愛する女性たちや跡継ぎを次々に失い、飢饉の結果責任も負うことになった主膳が、森岡家の所領にあった、ゆかりの深い久渡寺に絵を奉納し、身辺整理を済ませて自害した」と推論。内山教授は「制作の状況と依頼主の身辺の状況とが整合することが証明できた、非常に希有(けう)な例」と話している。
『東奥日報』2021年5月20日より抜粋