久渡寺の概要
青森県弘前市坂元に所在する真言宗智山派寺院。山号は護国山。院号は観音院。
等級は15等。津軽三十三観音霊場第1番札所で、最勝院や百沢寺(現 求聞寺)、
橋雲寺、国上寺とともに津軽真言五山の一つでもある。
本尊は円仁(慈覚大師)の作とされる聖観音。もとの最勝院末寺である。
また、王志羅講(大白羅講)や円山応挙作と伝わる幽霊画でも著名。
開催中の催事
本堂
伝承によれば、西暦800年ころ、坂上田村麻呂が蝦夷征伐に津軽にやってきた時、阿闍羅山(大鰐町)に本陣を構え、岩木山まで峰伝いに千の坊舎「阿闍羅千坊」を建てたという。延暦年間(782‐803)、阿闍羅山に阿闍羅千坊の本尊を祀る補陀落寺(興国寺ともいう)を建立。本尊は大日尊で、左右は不動尊と観世音の三尊であったという。建久2年(1191)、唐の僧侶・円知上人が津軽に来た際、本阿闍羅三山坊の荒れ果てているのを見て、大日尊を蔵館(大鰐町)に、不動尊を古懸(平川市碇ヶ関地区)に、そして当時小沢山と呼ばれていたこの地に聖観音を遷して布教の本拠地とし、小沢山「救度寺」と称した。
明応年間(1492~1501)、日範(日知)が中興し、そのあとを道円と寛照によって継承される。
慶長年間(1596~1615)、寛海和尚によって再興され、津軽一統を志す大浦為信が寺領を寄進、小沢村古舘から坂元村に寺を遷し、国を護る山として「護国山観音院」と改称。
元和5年(1619)、二代藩主・津軽信枚が領内鎮護のため堂舎を再建し別当を置いて藩の祈願所とした。
寛永3年(1626)、百沢寺、最勝院、国上寺、橋雲寺とともに津軽真言五山の一つとなる。
寛永10年(1633)、三代藩主・信義が寺領百石を寄進、現在の寺名「久渡寺」に改める。
久渡寺山は出羽丘陵の北端に位置する標高663メートルの山地です。
歴代住職墓所の上に弘前市こどもの森ビジターセンターがある。ビジターセンター南側のハイキングコースに鳥居があり、約20メートル上がったところに眼病に効能があるという湧水が出る羽黒神社があります。その上に四間、二間半の玄舟寺(本尊延命地蔵)があります。そして、山頂に「山の神」と呼ばれる御堂があります。
久渡寺から編笠林道を通り、一野渡の座頭石(市民の森)を経て、狼森に出る道が「東北自然歩道(座頭石と久渡寺参拝のみち)」に指定されています。
久渡寺関連トピックス
こどもの森
久渡寺32世の高坂智晋住職が100ヘクタールの山を無償で開放して実現したもので、弘前市制施行80年周年記念事業として昭和43年に整備に着手、翌44年に開場。ビジターセンター、植物園、あそびの森、キャンプ場などがあり、自然観察野外活動の場として親しまれています。平成元年4月には環境庁より「ふるさと・いきものの里」の認定を受けています。
参考文献
・こころ~津軽のお寺さん巡り弘前編(弘前公益社)
・弘前市みどりの協会HP
御朱印・お守り
この度のコロナ禍を受けまして、
遠方にお住まいでお参りできない方、
その他様々な理由でご参拝がかなわない方々の
便宜をお図りするため、
御朱印・お守りの郵送を受け付けております。
ご希望の方はメールフォームまたは
お電話にてお問い合わせください。
津軽三十三観音霊場一番札所
当寺は寛延年間(1749~1751)に定められた
津軽三十三観音霊場の一番札所で、
津軽巡礼の旅はここから始まります。
記録によると津軽三十三ヵ所は、はじめ護国三十三ヵ所といわれ、
江戸時代の中頃から番付が改変され、
当寺が一番札所となり、結願が観音山普門院として定められました。
途中、明治維新の廃仏毀釈で大きな影響を受けますが、
明治の中頃から再び観音めぐりが復活し、
現在も多くの参拝者が巡礼しております。
参詣される方へ
拝観時間
9:00~16:30
(特別公開時は9:00~17:00)
※16:30および17:00で退出していただきます
拝観料
大人500円 中高生200円 小学生100円
※特別公開時は 大人600円 中高生300円 小学生100円
護國山 観音院 久渡寺
〒036-8244 青森県弘前市坂元山元1
駐車場有り
車でお越しの場合
弘前弘南鉄道大鰐線 千年駅から車で13分
電車とバスでお越しの場合
弘南バス久渡寺線 久渡寺で降車
バス路線についてはこちら
お問い合わせ
ご不明な点がございましたら、
お電話またはメールフォームより
ご連絡ください。
お電話で
0172-88-1555
受付時間 午前九時~午後五時